妄想レスキュー
写真の仕事は集合時間より1時間前に現場近くに行って喫茶店に入るか富士そばで朝そば食べるとか時間をつぶして、絶対に遅刻しないようにしているんだけど、それでも電車の遅延とかがあって冷や冷やする。
これは今まで一度もないんだけど、電車の中で痴漢にあっている女性を見つけてしまったら、私はどうするのだろうかとずっと考えてて、常に不安な気分を抱えたまま電車に乗っている。
女性専用車両に乗ればいいんだろうけど、女性って男性がいないと露骨に怖くなる人がいるから危険なので敬遠している。なめられがちなので・・・あと、たいてい香害がひどい・・・(女性専用車両に反対はしていません!利用したいひとはしたらいいとおもいます!)
私が妄想する、痴漢されている女性を見つけた場合の対処法は、近くにいる、きちんとスーツ着こなしている若い会社員風の男性をつかまえて「ちょっと助けてもらえないかしら?」と、役割をバトンタッチする方法だ。自営業に比べて、会社は圧倒的に個人を守ってくれる。いろいろあるけど、ここはやはり「寄らば大樹の陰」である。予期せぬ事件事故に巻き込まれた個人に責任を取らせることなど、まあないだろう。ましてや遅刻の理由が善行となれば、ただでさえ高いであろう彼の社内での評価もうなぎのぼりに上がっていくはず。はず・・・。
前回書いた、「僕が渡しに行きます!」と、アイコンタクトで仕事をしてくれた、若く感じの良いイケメンが私の近くにいてサポートしてくれますように!!!
そう考えると、世の中9割5分、見た目なのかな~。
なんだかとても残念だけど。痴漢ってみんな不細工だからね。顔以前に心が不細工だからあんな不細工になるんだろうか。わかんないけど。
ちなみにだけど、痴漢に遭うのは美人でナイスバデーでオシャレな女性ではない。そういう女性ははっきりと意思表示を示せる強い意志を持った人が多い。
痴漢は何も言い出せないような、自己評価の低い人を狙う。
これがめっちゃ腹立つんだよな~。
わたしも若いころはそうだった。
胸やら尻やら随分触られた。ほんとうにあのころの自分と相手にむかつく!!
しかも言い出せないのを見極めると座席を移動してもついてくる。怖くて振り返ることができないのをいいことに背後から脇の下に手を入れてきて、胸を触ってくるってほんと酷くないか?周りの人は誰も気が付かなかったんだろうか。ほんと傷ついたよ!って、こんなふうに傷つけたいんだろうな、悔しいな!
ぐあああ!!!!ほんとむかつく!!!
こんな人が一人でも減るように、見つけたら絶対に助ける!
もう一つ、妄想レスキュー。
歌舞伎町でしょっっぼいおっさんにホテルに誘われたときのことを思い出して妄想レスキューがはじまる。
当時はあっちがトラウマになるほど「気持ち悪い顔で寄ってくるんじゃねーよ!!」って大声で怒鳴ってやりたかった。あいつに「こいつならヤレるかも」と思われたことがたまらなく悔しかった(←これが一番大きいかも)
実際にはガン無視しただけ。あのニタニタしたしょぼい顔が未だに脳裏に焼き付いてトラウマ。
それがちょっと前には、「待ち合わせしている友だちが来るまでなら。喫茶店でお茶をごちそうしてくれる?」と、こちらから誘い、フルーツあんみつでも食べながら、彼の半生を聞いてみたい気分になった。
やっぱり、見た目も生き方も気の毒なひとなんだろうと思うんですよ。
好奇心です。
そして今は「ホテル行くけど、ご飯奢ってくれる?ヒルトンか京王プラザホテルのビュッフェがいい」と、タクシーに乗る。ビュッフェはいい。ほどよくざわついていて、私が今、売春を持ち掛けてきた男の半生を聞いているなどとは誰も気が付かないだろう。わたしもビュッフェの攻略を考えながら聞くことになるので、話半分で真剣になりすぎなくていい。
さて、おなかがいっぱいになったら、お礼にプレゼントをしたいといい、そのまま再びタクシーに乗り、紀伊国屋書店に行く。
そこで「あなたに必要なのは一時の快楽や征服欲じゃなく、生涯の夢だよ!この人の本を読め!」と、わたしが尊敬する荒俣宏先生の本を買ってあげる。
荒俣先生は若いころに「女性にもてることと、出世することをあきらめた」と心に決め、自分のやりたいことを極めていった結果、あのような偉大な人物となり、妖怪好きのCAと結婚している(しかも前妻は杉浦日名子!!)。
カポーティの小説やウディ・アレンの映画もいいかもしれない。まあ、彼らに近づくには知性とセンスが必要ですが・・・。
もしくは谷崎潤一郎や澁澤龍彦など、思い切って耽美主義に傾倒するのもアリかもしれない。
「痴人の愛」みたいな関係が歌舞伎町で生まれたなら、私も本を贈ったかいがあるというものだ。
どうせ声をかけて何人かとどうにかなったとして、彼の人生は、日々は変わらないだろう。何にも満たされない。死ぬまで変わらない。
ならば、いっとき何とかなりそうな相手じゃなくて、何ともならない、もっととびきりの美人に一生を捧げるべきではないだろうか!(フツーにわたしと釣り合うと思うなよ!←結局これが言いたい)
やっぱりね、自分にも子どもがいて、女の子もいるので、これから先、ちょっと心が弱ったときにタイミング悪くこういう男に引っかからないか心配なんですよ。
だからこういう男を逐一狩りたい!狩りたいんです!
そんな妄想が暴走するけど、もう、歌舞伎町で声をかけられることはないんだな~。
あと、風俗のスカウトは結構うれしくって、働き方とか給料とか、けっこう質問しました。
キャバクラじゃなくて、ガチの店がほとんどでしたね。こちらも久しく来ないな~。
もう、酒場で声かけてもらうぐらいだろうな~。
今のところ、酒場だったら100パーセントおじさんに声をかけられる。
そういうところにいるおじさんは歌舞伎町で女を物色しているおじさんとは全然生き方が違う気がする。
なんだろうな~そういうところでくつろげる人格、モチベーションを養うまでにはそれ相応の人生経験が必要なんですよ!酒場のくつろぎは1日にして成らずですよ!
すべての男が囲碁将棋麻雀(テンピンまでw)やって、酒場でくつろいでいたのなら、もっと世の中良くなる気がするよ。
アニマルレスキュー
キタムラ家はアニマルレスキューの使命を担った家族だった。
飼っている動物(犬、ハムスター、軍鶏)がすべてレスキューされた動物だった。そのほか、鳥(ヒバリ、鴨、白鳥)などが飛来してくるのでレスキューして戻してあげた。名も知らない野鳥が家の中にやってきては仏壇の水を飲んで飛び去っていった。アオダイショウと猫もしょっちゅう寄ってくるから多分、我が家は彼らにとって家じゃなくて通り道だったのだと思う。
どんだけ田舎なのかと想像されるでしょうが、地方都市の飲み屋街にある小さな家で、目の前はバス通り、セブンまで徒歩1分なのでそんなに田舎でもない。
でも、獣道に家を建てちゃったんだと思う。
この使命は私が東京に出てきてからも続いた。
我が家の白猫もケガをしていた野良猫だったのでレスキューした。当時、練馬区は野良猫割引があったので、ケガの治療費を少し安くしてくれて嬉しかった。練馬区すてきタウン!
アオダイショウは相変わらず姿を見せてくれた。
東京の人たちはびっくりして、わざわざ通りすがりの私に「見て!見て!」と声をかけてきたけど、「アオダイショウは人の住んでいるところに何気にいますよ~」と、特に驚きはないんだな~。(でも最近アオダイショウのことを調べたら幼蛇はマムシのような柄で擬態をしているらしく、それがより怖がられるそう。これは見かけたら何としても助けてあげなければ!)
十日町の駅で蝙蝠をレスキューしたこともあったなあ。
駅員さんが「かわいい~♡」となでなでするので、蝙蝠がこわがっておしっこをしてしまった。蝙蝠を保護したら袋や布で包んであげると安心すると何かで読んだことがあったので、ビニールの袋に入れて人間が見えないようにしてあげた。
普段から動物ニュースを気にかけてて良かった。
あれからしばらくアニマルレスキューしてない気がしてたけど、最近、人間もアニマルではないか?と気が付いた。
だとすると、私がU字溝に落とし物をした子たちを助けたのは一連のアニマルレスキューのお仕事だったのだ。
過去3回、U字溝にモノ(お金、眼鏡のツル、自宅の鍵)を落とした子どもに出会い、すべて拾った。(その3回とも結構苦戦したので、いつU字溝にモノを落とした人に出くわしても良いように、常に針金を持ち歩くようになった。先日、スタジオ撮影で針金が必要になり、「あ、針金持ってますよ」と、針金を使ったところから、思い出してこの日記を書いている。)
認知症のお年寄りに話しかけらることも多いので、随分警察に連絡した。
高知県の山道を車で走っていた時、道の端にお年寄りが座り込んでいたから「すわ!迷い人?」と思い、慌てて引き返したところ、猿が人のように座り込んでいただけだった。わたしがガン見したからか猿はめっちゃ怒って去っていった。思うにあの猿は群れから離れて別の群れを探している猿だったんじゃないかと思う。猿は近親交配を避けるためにそういう行動を取ることがあると聞くので。だって座って黄昏ているように見えたんだよ!背中に哀愁を感じたんだよ・・・!
Suicaを落とすひとに出くわすことも多い。
自由が丘の駅の改札を出る瞬間、4つほど隣の改札に入った人がSuicaをタッチさせたあと、パスケースからSuicaを落としたのが見えたので、周りに恥ずかしくない声量で慎重に声をかけたら気づかれなかった。
そこで、少しずつ声量を上げて声をかけたところ、そのすぐ後に入った人が気が付いて拾ってくれ、わたしに向かって「僕が引き受けました!」とアイコンタクトをしてくれたので、わたしも思わず「任せた!」と、小さく頷いてみせた。その拾ってくれた人がめっちゃイケメンだったので、わたしの中では「イケメンは性格が良い」というのが定説となった。前からそうじゃないかと思っていたのが確信に変わった瞬間でもあった。
一人で美術館に行って、絵を見て笑っていると見知らぬイケメンから、「この絵のどこがおもしろいんですか?」と聞かれたことが2回あるんだけど、それが2回ともSuicaを拾ってくれたイケメンに似た雰囲気なんだよなあ。体が細くて顔が小さくて美形なの。きっと、愛されて育ったんだろうね。知らない人に面白さを尋ねられるなんて。
わたしはどちらも「え~~w~だって面白いじゃないですか?wwww」と答えるだけでがっかりさせちゃったんだろうな。語彙力足りなくてごめんね。
そうだそうだ!放火された家から人と動物を助けたこともあった。正確には放火された家は隣の家で、玄関に石油みたいなのが撒かれてて、そこから火が燃えていた。その火が古い木造建築のその家に燃え移っていたので、ドアを叩いて家の人を呼んだ。あれを見たから住居にするなら最新の防火性能を持った家が良いって信条を持つに至った。特に東京では。
はあ。ずいぶんとレスキューしてきたものだ。面白い経験だった。
わたしも随分落とし物して拾ってもらってきたし、考えようによっては前回の結婚も拾ってもらったようなものだし、お互い様なんでしょうけどね。
次回は私が想像して不安になっているレスキューについて書きます。
自転車生活
できる限り毎日40キロ自転車で走って、とうとう体重16キロ減!
あとちょっとだな。
ダイエットしてても風邪をひかなくなったのがとにかくありがたい。
これは自転車生活のおかげだと思う。
電車に乗らないように、節約するために自転車を選んだのだけど、遠回りでも好きな道、好きな街を走っていると余り距離が気にならない。
ただ、ダイエット始めてから炭水化物を減らしているせいか、肉、特に野生の獣の肉を食べたいのが悩ましい。お金ないんだけどなあ。
駒込駅前に獣の肉専門の居酒屋があるのをいつも気にかけている。
初めて入った蕎麦屋では絶対に鴨南蛮を食べている。
このまま鳥獣の肉を欲し続けていると、私はマタギになるんじゃないだろうかと思ったりもする。
15年前ほどに買ったスぺ車。頑張ってくれている。
深夜の東京を自転車で走っていると、自転車乗りの人にたくさん出会う。
深夜の東京には白いGIANTが合うな~。Bianchiでもあえての白!を選ぶ人にうっとりする。
インスピレーション②
さて、インスピレーションのお話の続きです。
どんな人でも根拠なく、こっちがいいかな~と(横尾忠則的な)Y字路を選んでいることがあると思うけど、私の場合、突然インスピレーションを得た経験で、特に印象深いものがいくつかある。
① 社会人になってから、大学の友人たちと夜の江の島でキャンプをしようと蒲田駅か品川駅だったか忘れちゃったけど、駅のホームで待ち合わせをした。
すると、一人が、特に時間を守るタイプの人が遅れてて来ない。
おかしい。
当時、彼は携帯電話を持っていなかったので、どうやって連絡をしようか、もしかしたら会社から来る予定だから会社に電話をすれば連絡がつくんじゃないか、部署の電話番号なんか知らないよ?この時間に電話を取り次いでくれるかな?そんなことをみんなで話し合っているとき、急に頭が『もや~~』となって、体はそのままそこにあるのに、後頭部だけがみんなから離れていくような感覚があり、その瞬間、その彼が古い木造の駅のベンチに座っているイメージが浮かんだ。
なので、「Tくん、江の島駅で待ち合わせだと勘違いしたんだよ!早く江の島に行こうよ!寂しそうだよ!」と、訝しがるみんなを引き連れて江の島に向かった。
すると、想像した通り、彼は先に江の島駅についていた。
私はホッとして「やっぱりいた~!」と、彼に駆け寄った。すごくうれしかったんだけど、みんなから「キタムラ気持ち悪いよ~~!」と言われた。わたしも何故あのイメージが浮かんだのかおかしいなとは思うけど、結果良かったので別にいいじゃんと。
そんな思い出。
② 結婚して2年目ぐらいのこと(いまから15年ぐらい前かあ・・)元夫から「中野で会社の人とご飯食べにいくことになったから、夕飯いらない」と電話があった。
帰ってきたその顔を見た瞬間、「福しんで『ラーメン餃子セット』食べてきたね?」
と言ったら「なんで分かったの??」とびっくりしているので、「『ラーメン餃子セット』食べてきたような顔をしてたから」と言ったけど、ほんとなんでわかったんだろう?
元夫とはこういうことが結構あった気がするが、これが一番思い出深く、かつ、どうでもいい思い出かもしれない。
③ 3番目はちょっと重いです。
高校のときの友人たちと家呑みをして、一人一人を玄関で見送るとき、バイクで帰る友人とさよならを言って彼女の目を見た瞬間、
「この人、この後、交通事故に遭う」
と、感じた。
でも、普段泊まったりしない人だから引き止められないし、そもそもこれから事故に遭うかもよ?なんてどう説明したらいいのかわからない。どうしよう・・・そんな考えが瞬時に脳裏によぎったのだけど、そのまま見送ってしまった。
そして彼女は本当に事故にあってしまった。
幸い、入院するような大けがではなかったのだけど、彼女には何の落ち度もなく、注意しようもないような状況だったので、とても申し訳なく、歯がゆかった。
私はどうしたら良かったのだろうか・・・?
これに関しては長年考えてきたのだけど、最近になって、
「いつもと違う、強い印象を残す別れ方をすればいいのかも?」
と、思うようになった。
火打石を使うとか、グータッチやハイタッチをするとか、ハグをするとかして、正直に「今日はなんだか心配だから気を付けて帰ってね」と、強めに言う。
まあ、祈りですね。
そんなしょっちゅうあるわけじゃないけどね。いつも強めに挨拶している人たちはどうすりゃいいんだろうねw わからん!!
④ 最後は番外編です。
大学2年の頃、片思いをしていた相手に振られて酷く落ち込んで、部屋で一人、
「あ~~~も~~~~消えてしまいたい~!」
と、考えた瞬間、電話が鳴った。相手は高校時代の友人だった。
「キタムラ?今、何をしていたの?なんかキタムラの声が聴こえた気がして電話したよ」
と、言うので超ビビった。
これはあれだ!芥川龍之介の「歯車」だったかな?あのエッセイの中にあったやつにそっくりだ!「死」の気分が遠くにいる友人に伝わったんだ。こわい!死ぬつもりは全くなかったけど、タイミングが怖くね?!
そして、「そっか、そういうことか!(これは失恋ではなく、単なる勘違いで、本当にどうでもいいことだ。それよりもっともっと大事で素敵な関係が私にはある)」と、瞬時に強く思い、「何をしていたの?」との問いには「えっと~タイカレーを作ってたんだけど、一緒に食べる?」と答えた。私は一瞬、絶句はしたが、返答まで1秒もかかってなかったと思う。
彼女は(何も気が付かずに)すぐにやってきて、二人でタイカレーを食べた。あまりに美味しくてご飯が足りなくなって、冷凍していたご飯を探して解凍してまで食べた。いい思い出だ。幸せだったww
こっちは友人の方がエスパー魔美的だったという話でした。
みんなエスパーなのかしらねww
以上、インスピレーションのお話でした。
思い出したらまた書きますが、これを読んでるみなさんにも印象深いインスピレーションのお話があったら聞いてみたいです。
ではまた。
余談・・・祖母のこととか
駒込に部屋を借りたので、水戸から一人暮らしで使えそうなものを取りに帰りました。
今まで封印していた有田焼などを。
有田にいる親せきが釜元で働いていたので、けっこういろんなものがあります。
めっちゃ綺麗!白い漆喰の壁にも合う!
使い道が余りなさそうな大皿まで持ってきた。でもこちらは飾る目的もあるんだとか。
一つ、ぼろぼろになった壺があって、それはおそらく佐賀に行ったときに叔父から買ったものだったと思うので、金継ぎしようかなと思案中。
私たち子どもは割った記憶は一切ないんだけど、両親は意外と大事にしてなかったんだよなあと改めて知りました。生活に追われてて、それどころじゃなかったのかも。その壺も捨てようとしていたのを慌てて拾ってきたし。
ところで、今日初めて知った話が面白かったので、前回の続きじゃないけど書かせてくれ。
祖母の母親(私から見たらひいおばあちゃん)の実家は有田にあって、当時お城に献上するようなものを作っていた大きな釜元だったらしい。
そこの娘だったひいおばあちゃんが、自分のところで働く職人と恋仲になってしまうが、家の格式からして認められないからと、生まれた子どもは親せきの家に里子に出された。それがわたしのおばあちゃん。里子に出されはしたものの、不憫に思った里親たちが、不自由しないようにと洋裁などを習わせてくれたというので、けっこう幸せに暮らせてたのかもしれないが、ひいばあちゃんとひいじいちゃんがどうなったのかなどはあまり判らない。血のつながらない、名字の違う兄弟姉妹はかなりの数になるという。
ま、これだけの話なんだけどね。
身近に絵にかいたような悲恋が!そして産まれた子どもを自分で育てさせてあげないとか、どんだけ酷いことするんだ!鬼すぎる!とびっくりしました。『家』が怖い!
その昔話のような『アップタウンガール』と『ダウンタウンボーイ』が恋に落ちてなければ、わたしはこの世に生まれていなかったのだよなあと感慨深く思います。
念のため(?)、ビリージョエルの『アップタウンガール』と
https://www.youtube.com/watch?v=hCuMWrfXG4E
https://www.youtube.com/watch?v=C7uvXM-Gxek
『分断された世界』が一瞬繋がったんだなあ。そして子どもが生まれて未来に繋がった。ひいばあちゃんとひいじいちゃん、頑張ったと思うわ~。
インスピレーション①
離婚の理由はいろいろあるんですが、こうして私だけが一方的に書いて、知り合いに話しても、あんまり意味があるとは思えないので、だらだら書きません。
ただ一言、「性格の不一致」とだけ。
思い切って別れて今はハッピー!です!
離婚報告をした友人たちが応援メッセージを送ってくれたのも嬉しかった!
失敗をしても励ましてもらえる、怒られない、ってこんなに心が温かくなるんだなあって生まれて初めて感じたように思います。いつかわたしもみんなを励ましてあげられるような存在になりたいです。
と、ここまで前向きなことを書いてきましたが・・・。
元夫の両親や妹弟や親せきには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
わたしは世でいう「義実家帰省イヤー!」みたいなのがまったくなくて、私が育った環境とは違う、のびのびとした元夫の親せきの雰囲気がとても好きでした。
だからそこだけは今でも悲しい。
先月、お彼岸のお参りをした際に、両親と親せきには会えたので心の中で「ごめんなさい、さようなら」をしました。秘密を抱えた最後のお別れでした。
ふつう、離婚に至る過程ってもっとドロドロしてて、お互いの両親をも巻き込んで大変なことになるもんかなと思うので、おそらくはこのことを知った元夫側の親せきはびっくりするんじゃないかと思います。
つーか、わたしの友人たちもエライびっくりしてたしなあ。
まあ、でも、仕方がないのよ。こればっかりは。
あ、そうだ。
子どもについてですが、親権は元夫です。
今は離婚していながら一緒に住んでいますが、じきに家を出ようと思います。
実母も同居していますが、彼女は家政婦としてしばらく住んでいてほしいという元夫の希望があるので、このまま住み続けるという謎の展開になってます。お給料払ってくれるらしいし、ラッキーですw
そしてわたしはゆくゆくは母と住める家を近所で探すことになると思います。
仕事のないときはご飯を作りに行ったり、掃除をしたり、習い事の送り迎えをする予定です。
夫婦の関係は終わったけど、親子の関係は終わることはない、そんなことを信じる気持ちから決断した選択でした。
あ〜自分の部屋ができたら、しまい込んでいた古美術品並べたいなあ。
(元夫に何個割られたことか!特に7万の盃を割ったことは今でも許してないぞ!クソバカヤロー!!!←ここだけは言うww)
えーと、ここまでが『前置き』で、ここからが表題の『インスピレーション①』についてです。
わたしは第一子を出産以来、ずっと元夫との関係に悩んでいましたが、離婚の決意を導くインスピレーションを与えてくれたのが、エレファントカシマシの宮本浩次さんのyoutube映像でした。
エレファントカシマシはデビュー時からずっと知っていましたが、何故か急に今年の2月末頃から好きになりました。
youtubeで色々観ていて、これまた何故か、どの曲のどの歌詞かは、まったく覚えていないのですが、宮本さんの歌に込められた強い気持ちに触れて「ほんとそうだなあ。わたしは離婚しよっ!!」と、ふと思ったのでした。
その映像を観てからおよそ1ヶ月、4月1日に離婚届を出しました。
それってどういうこと?って聞かれても説明しにくい!
何となくですが、『若いころの村上春樹が神宮で野球を観ていて(ふと風が吹いてきて)「小説を書こう」と思った』あの状況に似ているんじゃないかと勝手に思ってます。
棋士の中原誠十六世名人が「棋士というのは何手先も読むものだけど、あるときセオリーじゃない、全く違う次の一手が急に降ってくることがある」と話していたのにも似ている気がします。
自分の考えであって、自分のものじゃないような・・・もちろん、決断したのは自分なので自己責任ですが、最初のインスピレーションは私のものじゃないような気がしてならない。そんな感じです。
さて、インスピレーション①とありますので、次回は②~と続きます。
何だかこのブログはGガルシア=マルケスの『百年の孤独』ぐらいに文量と情報量が多いものになりそうな予感・・・。まあ、暇な方だけお付き合いください。
ありがとうございました。
離婚しました。
エイプリルフールじゃないよ~!
理由はいろいろあるんだけど、簡単に言うと「もっと人として『高み』を目指したいから」です!
結婚して向上心がなくなってしまっていたよ。
なので、離婚しました。
旦那の内面は他人なのでわからないけど、離婚協議書の最後にこう付け加えたので、今よりずっと真人間になれるはず。
痩せろ、歯医者行け、人間ドック引っかかってたよね?この3つを毎日のように言い続けてもまったく効果がなかったので、親権を盾にしてみた。きっとがんばるだろうw わたしもがんばる!